眠れない物語のペイジ

私立恵比寿中学の諸々を徒然なるままにつづるブログ

ずっとファンでいること

 

 

何年、何十年もの間、同じ人やもののファンであり続けることがなかなかできない。

 

そのことに最もらしい理由をつけるならそれは「人やものは同じであり続けないから」だと思う。

 

人やものは当然変わる。ミュージシャンがタッグを組むプロデューサーを変えたり、テレビに出ない意志を明確に示していたはずの人が今やメディアに引っ張りだこになっていたり、メンバーの脱退、テコ入れ、などなど。

 

名前や姿は同じでも、目指す方向や心境は少しずつ、でも確かに変わっていくものだろう。年月をかけて積み重なったその少しの変化は振り返ればきっと随分な変化で、そこにある人やものはもう全然昔のままではない。

 

また、自分にだって変化がある。生活環境、価値観、生きていくコミュニティ。忙しくなったり、家族が増えたりするうちに、失ったり、手にしたりするものはたくさんある。

 

そんな双方の変化が当たり前にあるのだから、また当たり前のように「好きなものの方向が変わる瞬間」「好きなものに触れなくなる時期」がある。僕はその瞬間を前に、大抵好きを簡単にやめてしまうのである。ずっと、それを自然にやってきた。

 

変化なんて包み込めるくらい強固な「好き」があればな、なんて思う。

 

習っていた野球を辞めたから行く前に見ていた仮面ライダーを見なくなり、劇場版名探偵コナンの監督が変わり作風が明確に変わってあっさり観るのをやめて、脚本を外注しなくなった細田守作品からすぐに離れた。だって、変わったんだもの。

 

しかし、一度始まった「好き」は意外と厄介で、いつか必ず帰ってくるのである。やりたいことが変わってもその人の根本や欠片にまた愛すべきものを見つけてしまうし、暮らしの変化に伴って離れていても、ふと時間が空いて触れたら最期、また虜にならざるを得ない。「好き」ってそういうものだ。

 

そうして戻ってきてふと見ると、そこには自分が簡単に手放してしまった空白の時間がある。もう一度好きになった時、ずっと好きで居続けた人と同じ熱量で語れないことがわかって、すごく寂しくなる。オードリーのオールナイトニッポンから離れた2014~16年のことがあって、やっぱり武道館は寂しかった。

 

 

きっと誰にだってこんな風に「変化」に伴って自然と「離れ」をむかえようとする時期があるのだろう。もちろん、明確な「嫌い」に転じてしまったらそこでお別れする以外にないけれど、でもそれがまだ「ちょっとした手間」くらいなら簡単に離れてしまわない方がきっといい。後ですごく寂しくなるから。一度でもファンになったのだから。また帰ってきた時のために。

 

 

そして、そうやって応援し続けた先のご褒美みたいな時間の中で、その「ちょっとした手間」を頑張って応援していたことは誇りになって帰ってくる。「あの時は色々あったね」なんて10年や20年を振り返っている人のことを見ると、とんでもなく羨ましくなる。

 

そんな強固な出会いが僕にとって私立恵比寿中学の皆さんだったらいいな。