眠れない物語のペイジ

私立恵比寿中学の諸々を徒然なるままにつづるブログ

「23」と私立恵比寿中学

 

 

【「23」という数字 】

 

今年で23回目のサマーナイト

もう今夜の素肌は冷めない まだまだ帰れない

 

真山さんの艶やかな歌声から始まる「23回目のサマーナイト」は、23回目の夏を迎える女性を主人公としたポップでキュートな恋愛ソングである。聴けばすぐに、児玉雨子さんが描く耳心地の良いリリックとポップな曲調に心が躍り、一方で「エビ中」と「大人の(または大人になろうとしている)恋愛を歌うこと」の間にあるメルヘンがもう随分儚くなったことに気づいて無性にドキドキしてしまう。夏のにおいがすぐそこに薫る名曲である。(圧倒的ファン目線)

 

拙い楽曲評は早々にやめて本題に入ろう。

 

さて、この「23回目のサマーナイト」を聴いたとき、エビ中ファミリーならとある楽曲との不思議な縁を感じるのではないだろうか。この楽曲と同じく「ファミえん」のために制作され、そして同じく「大人と恋愛」を描く、高橋久美子作詞の楽曲「朝顔」である。

 

 

23歳になったら結婚しよう(なんて)

小6の夏休み 約束してたこと 急に思い出したんだ

 

 

恋愛と23歳、結婚と23歳。そう、この2つの楽曲には「恋をする節目」として「23歳」という年齢が登場するのである。「23」は恋愛を実らせる数字だと両曲もとい両作詞家がそっと示している。しかしこれは、例えば「大人=20歳」というように社会一般に広く流布している価値観であったり、「結婚=16歳」のように法律によって決定づけられるものであったり、そういった数字とはなんだか様相が異なる。決定された繋がりではなく、高橋久美子児玉雨子両氏が紡ぐ繊細な感覚が重なった偶然の産物であるのだ。そして、今回私が行うのはこの「偶然」の検証、そしてそれを限りなく必然に近づけるための過度な考察である。(しかしまた考察とはいつだって過度である)

 

「23」と恋愛、「23」とアイドル、「23」と私立恵比寿中学。その関係とはなんだろう。

 

【「23」=「大人の象徴」】

 

さて、まずは「私立恵比寿中学」とも「アイドル」とも、また「恋愛」とも切り離して、一般的に「23歳」という年齢が表すものについて考える。

 

パッと思いつくのはこの年齢が「社会人2年目」を表すということである。大学まで通って4年で卒業した場合、人は22歳で社会に出て、23歳はいわゆる社会人2年目ということになる。右も左も分からない1年が終わり、社会の中での自分の立ち位置と責任の大きさをぼんやりと、しかし改めて実感する歳。精神的に考えて、22歳が「子供から大人」へ移行する歳だとすれば、23歳は完全な「大人」の歳と言えるのではないか。もちろん、社会に出た時点、つまり22歳を大人と設定してしまう方がスッキリするという考え方もある。むしろそちらの方が自然なのかもしれない。

 

 

しかし、ここで試しに2つの楽曲の歌詞を引用したい。

 

「23歳」/吉澤嘉代子

 

ここからはもう 大人の世界
言い訳きかない 大人の世界

見上げてみれば 化け物だらけ
ほんとうの敵は わたしの中に

 
ステージからあなたを見つけたときに
迷いのないわたしで在りたいから 心だけはここに

ちゃんと食べなきゃ ちゃんと寝なくちゃ
心配性のあなた お母さんみたい
写真を見たら 帰りたくなって
だけど 帰る場所はもうないの
23歳の夜

 

 

「23才」/永井真理子

 

10才の頃小さな私は 解けない悩みがあると
悔しくて泣きながら眠った そんな夜もあったもの


学校からの帰りの道で すれ違う学生たち
白いソックスと革の靴が なんだか大人に見えて不思議だったよ


17才の頃も今では なつかしい思い出なの
あんなに大人に見えた歳も 自分じゃそうは思えない
人を受け入れてくってことと 受け入れてもらうことが
うまくかみあわないままなぜか 胸だけが熱くなった


今どこへ 今は自分で 今は何を探せばいいのか
さっぱりわからない 悩みさえもからっぽ
きっと心が きっとひとりじゃ きっと栄養失調なんだ
ひどくもどかしいよ
誰かと出会いたい 苦しい出会いでもいいよ

 

 

いずれも一部抜粋であるが、これら2曲が提示するのは23歳という年齢になって感じる大人の覚悟や苦しさ、やはり「23歳=大人」という方程式である。「まだ学生だから」とか「まだ1年目だから」とか、そんな言い訳が通用しなくなる、いよいよ逃げられない大人の年齢。大人にならなきゃいけない歳。これらの楽曲の歌詞を見ると、それが23歳だと言って差し支えなさそうだ。

 

 

【「23歳の恋愛」=「大人の恋愛」=? 】

 

 

さて、ではそれを踏まえて「恋愛」における「23歳」の意味を考えていく。

 

 

私は先ほど『「23」は恋愛を実らせる数字だ』と書いたが、「23回目のサマーナイト」そして「朝顔」の歌詞を踏まえ、少し修正を加えたい。

 

「23回目のサマーナイト」/私立恵比寿中学

 

今年で23回目のサマーナイト
もう今夜の素肌は冷めない まだまだ帰れない
With you ?トウキョウ・サマーナイト
君が次は勇気出して!

 

もぉ…このあと、どうすんの?

 

いつからだったのかな このごろちょっと(ちょっと?!)
いい感じ やりとり 自惚れでしょうか? 
偶然あってる好み 偶然空いてるこの土曜日
妙に意識しちゃうよね 
ドラマみたいなデート ジオラマみたいなペイロード
いい感じな夜風 大人気の店
偶然恋人がいない 偶然空に咲いた花火
ロマンチックフルコース
でもねどうでもいい 欲しいのは これじゃない

 

今年で23回目のサマーナイト 
もう今夜の素肌は冷めない まだまだ帰れない
With you トウキョウ・サマーナイト
君が次は勇気出して
全然進まないテールライト
今夜は大渋滞 これじゃあ帰れない
っていう言い訳したら 君はどんな顔するんだろう

 

「まだまだ帰れない」

「君が次は勇気出して」

「もぉ…このあと、どうすんの?」

「でもねどうでもいい 欲しいのはこれじゃない」

 

これらの歌詞から分かるように、この楽曲の主人公が求めているのは、恋愛における具体的かつ今後の進展に繋がる結果である。ロマンチックなムード、プラトニックな関係、そんなものがあっても、それが次に繋がらなきゃ意味がない。手を繋ぐ、キスをする、etc…。もう楽しいだけの子供の恋愛なんてどうでもいいと言わんばかりである。

 

この精神を説明するうえで、先ほどの「23歳=大人」論が活きてくる。23歳は逃げられない大人になる年齢である。そして、こと恋愛における「大人になる」とは「結婚すること(これは少し暴論かもしれないが)」またはそれを意識し、それに向かって具体的な関係が進展することではないか。「23回目」の夏に妙に慌てて結果を求めるのは、「もう子供じゃいられない」という、大人の世界に踏み出したことからくる気持ちの表れなのではないかと考える。「23」は「恋愛に具体的な結果が必要になる歳」なのかもしれない。

 


朝顔」/私立恵比寿中学

アパートのベランダ、深夜に朝顔が咲いてます。

ねえ、太陽じゃないんだよ、これは蛍光灯の光だよ。

だまされてるとも気づかないで

それでも、綺麗に綺麗に綺麗に、 咲いてくれて ありがとう。

 

今朝の夢の中に 少年が出てきたの

「23歳になったら結婚しよう」(なんて)

小6の夏休み 約束してたこと

急に思い出したんだ

 

毎年行った 夏祭りのくじ引き

ぐるぐる回しても 金色は一度もでない残念賞)

 

今宵も朝顔 元気に ベランダで笑ってんだ

私の痛みを吸って咲いたような

約束を破ります 私 まだまだ咲くね

太陽はいつも 心の中にあるから

 

そして「朝顔」における「23」とは、まだ子供である男女がぼんやり描いた「結婚という夢」を叶える歳である。小6にしては「23で結婚!」って具体的なビジョンだなぁとは思うものの、この子供たちが心に抱くのはやはり「大人になること」なのである。

 

そんな幼少期の夢想を「23歳」を過ぎて金色が一度も出ない私は「約束を破ります」と言って諦めざるを得ない。大人の世界の入り口に立つと同時にいきなり結婚なんて順風満帆にはいかないけれど、「まだまだ咲くね」と決意を新たにする。子供の夢と大人の現実をリアルに、しかしながら肯定的に描いているように感じられる歌詞だ。

 

 

さて、ここまで「23歳」=「大人」であり、「23歳の恋愛」=「大人の恋愛」=「具体的な結果が必要な恋愛」であるという流れを見てきた。

 

ではなぜ私立恵比寿中学が「大人の恋愛」を歌うのか、そのことについて考えたい。

 

 

【「大人」と「子供」】

 

 

「大人の恋愛」と書いたが、それもまた少しだけ違う気がする。「23回目のサマーナイト」で描かれるのは「子供から大人になりたがっている恋愛」、「朝顔」で描かれるのは「子供の頃に夢見たものと大人になった恋や生活の対比」、いずれも共通するのは「子供から大人へ」という変化の様子である。

 

そして「私立恵比寿中学」というグループは文字通り中学生であり、もうすぐメンバー全員が20歳以上となる大人のグループでもある。子供であり、大人である、そんな不思議な立ち位置が、これらの楽曲が描きたい変化を輝かせるのではないか。

 

ここ2,3年で「曇天」「愛のレンタル」「SHAKE!SHAKE!」など、「子供」と「大人」の共存、アイドルという職業が与える不思議なモラトリアムを活かした楽曲が増えた。彼女たちがメルヘンの「中学生」をそのままに、現実として立派な大人になったからこそ恋愛ソングにおいて「23」という数字が綴られたのではないかと考える。

 

「23回目のサマーナイト」の歌い出しは、23回目の夏をまさに迎えた真山から23回目の夏を間近に控えた美怜ちゃんに繋がる。アイドルが歌う恋愛ソングはいつだってファンタジーであるはずなのに、なんだか現実がとても近い。今の私立恵比寿中学だからこそ歌える楽曲であり、だからこそ感じるドキドキなのである。

 

【2つの曲を繋ぐもの】

 

最後に、これら2つの「23」の因果を「限りなく必然に近づける」考察をする。

 

そもそも、エビ中は子供と大人の共存であり、だからこそ「子供から大人へ」の曲を歌うことができ、それが「恋愛ソング」においては「23」という数字に繋がるということを、児玉雨子高橋久美子両者が同様に感じた可能性について、どこまで信じていいのだろうか。

 

そんなたまたま「23」という数字が被るだろうか。恐らく児玉さんはファミえん2020の楽曲を作るにあたって、ファミえん2019の楽曲は聴いたはずだろうし、同じ恋愛ソングならば意識するのは当然だろう。

 

ならば「偶然」でもなんでもないのではないか。もし、意図的な遊び心をもったアンサーソングだとしたら。「夏祭りのくじ引き」で「金色」を目の前に、もうすぐ幸せを手にしようとしている世界線だとしたら。つい、そんなことを考えてしまう。

 

偶然「23」が重なったのではないかという繊細な期待のもとに行ってきた諸々の考察と、半ばデウスエクスマキナの如くそれを台無しにする、分かっていてオマージュしたという「必然」の可能性。どちらが正しいかは作家のみぞ知る世界である。知れるとしても、野暮なのでやめておこう。