眠れない物語のペイジ

私立恵比寿中学の諸々を徒然なるままにつづるブログ

オタクの悪いところが詰まったブログ

今回の件、全肯定オタクも全否定オタクもいて正直全然不思議ではないし「タバコ」や「アイドルとタバコ」という問題自体で「どっちが正しい」みたいなものは問われるべきでないなと正直個人的には思います。重要なのは、意見を表明することが、直接的にでも間接的にでも個人の自由の「制限」や「阻害」に及んでしまうこと、そして「本人が絶対に正しい」という前提だと思います。

 

まず今回の件に関しては「タバコ」それ自体に対する賛否、「アイドルとタバコ」に対する賛否、それに付随する「実際」と「表現」の違いがあると考えます。

 

「誰だとしてもタバコはだめ!」

「タバコがなんでだめなの?」

「アイドルがタバコはだめ!」

「アイドルだからこそタバコささるな~」

「表現ならいいけどな」

「表現でもアイドルはタバコ持つなよ」

 

種々の意見に対して「不思議ではない」と記述したのは、①人間には生理的で恣意的な「許せる」「許せない」がある ② それぞれの理屈に関してとくだん突飛な思考がないと感じる ためです。タバコが健康を害するのは事実だし、かといって合法なのも事実、アイドルという職業にとってタバコがマジョリティでないのも事実だし、かといって趣向を制限されるべきでないというのも事実。だとすればその「好き」「嫌い」に信条の差はあっても明確な正しさはないはずです。また「実際に吸うこと」と「表現で用いること」にはめちゃめちゃ大きな隔たりがあると考えている人も、そこには全く考えをもたない人もいます。このように皆が皆色んな意見を恣意的に持って、理屈はあるけど結局それぞれの「なんとなく」で感情を抱くのだから、それは本当に議論されるべきではないのです。

 

(ちなみに僕は「表現ならオッケー」派です。)

 

つまりはそれぞれの思いは「個人の自由」を脱しないということです。それを踏まえて、その思いをTwitterで表明すること、つまり全世界に一目で可視化させることについて考えます。

 

ここで最も重要な前提は、倫理的に間違いがない以上「本人にとって、本人の信条が絶対に正しい」ということです。当たり前です。

 

ですから「否」を表明することは、全体にとっては1つの自由な思いでも、対本人を考えると「間違い」なわけです。ではさらにその表明場所がTwitterであった場合どのような考えにいたるでしょう。

 

ここには大きく2つ、「全世界に発信している以上本人にも繋がっている」と考えるか、「個人が勝手に運営しているのだから好きに意見を言っていい」と考えるか、という思考の違いがあります。どちらにも絶対的な正しさや間違いはないので「良い」「悪い」と決めることはできないでしょう。しかし、もし本人を思う心があるのなら、僕個人的には、やはり少し慎重になるべきだなと思います。傷つけたくない人がいるのなら、そのリスクにはきちんと目を向けるべきです。そして、Twitterはそのリスク管理には圧倒的に向いていないツールです。

 

さて、それを踏まえて考えます。生理的に大好きな人が生理的に許せない行動をした場合にどうするべきか。

 

「意見を言うな」というのは不可能でしょう。というか僕もこんなことがあったら絶対にうだうだ意見してしまいます。だから「意見を言う手段を考える」というところに帰結するのだと思います。例えばブログにする。そしてちゃんと「好きな人は見ないでください」とクリックさせる前に注意を促す。これは「神ちゅーんず」に対して僕がとった手段です。あとは、周りに吐く。そして、どうしても無理な場合は全てのツールを遮断して卒業する。これは「ときめきペインター」に対して僕がとった手段です。とにかく、こうしたリスク管理がどうしても必要なのだと、今回や様々な論争を見て感じたのです。

 

生理的な思考が倫理に反していない時、それに反対意見を表明することは必ず何かしらのわだかまりを生みます。Twitterという機能はそのわだかまりへの配慮には全くふさわしくない、そのことをもう一度考えるべきだ、と思いました。

 

もちろんブログにしたらOKだというのも、Twitterが悪いツールだというのも、私の恣意的な意見なんですけどね。倫理的というのは本当に難しいですね。以上。