眠れない物語のペイジ

私立恵比寿中学の諸々を徒然なるままにつづるブログ

祖父

 

 

先日、母方の祖父が亡くなった。91歳。いわゆる大往生。

 

今日はその祖父の葬式だった。

 

僕は今まで生きてきて(と言ってもたったの21年間ではあるが)1度しか葬式というものに参列したことがない。もう10年以上前、一応の分別はついているけれど「死」というものがまだ実感として沸き上がってこなかったあの頃、父方の祖父の最期、その一連に立ちあった。

 

もう断片的にしか覚えていないけれど、危篤の知らせを受け病院へ向かう家族たちの見たことない深刻な顔や、大人げなく道路の真ん中に座り込んで泣きじゃくっている祖母とそれを何とか引っ張って連れていこうとしている父、病院内の寒さ、大の大人たちが皆黒い服を着て人目も憚らず泣いている姿、記憶のなかに微かに残っているそれらの断片はその頃の僕にとってはどれも異様に映り、いまでも鮮明に記憶している。優しかった父も泣いているところなんて見たことなかった祖母も、何だかよくわからないけど「人の死」というものは大人たちをいつもと違う風にしてしまうんだな、そんなことを知った。葬式の日は強い雨が降っていたな、なんてことも覚えている。でもどれもなんとなくだ。

 

だから、葬式をある種冷静に、「死」を眼前にちゃんと意識しながら経験したのは今日が初めてだった。きっとこの死を受けて感じたことは段々薄れていったり、慣れていったりしてわからなくなってしまいそうで、備忘録という意味でも今ブログに綴るべきだなと思い、こうして指を動かしている。

 

 

昔話から始める。

 

 

母方の実家は遠方にあった。小学生の頃は年に1,2回は必ず帰省してカラオケやら魚釣りやらあれこれ交流をしていたけれど、中学生、高校生と時が経つうちに家族行事も1つ2つと減り、遠方の祖父母に会うのはすっかり5年に1度くらいになっていた。

 

そんな僕と祖父をつないだ唯一(と言ってしまうのは少し寂しくもあるけれど)のものがドラムだった。

 

中学3年の春、祖父母に会いに行った際に皆で立ち寄ったリサイクルショップ、そこにポツンと置かれていた1台の黒い電子ドラム。「これ、ちょっと叩いてみなさい。リズム感が良いからな、きっと上手にできるぞ」祖父が急にそんなことを言い出して、僕はその電子ドラムをなんとなくで叩いて見せることになった。すると祖父はその姿をえらく気に入ったようで、即購入、そのまま東京へ送る手続きをあっという間に済ませてしまった。

 

今でもあの時どうして祖父が急にそんな行動をしたのかわからない。リズム感が良い素振りなんてとくだん見せていたつもりはなかったし、送るほど買ってあげたいものだったのだろうか。まぁとにかく、祖父が急に電子ドラムを購入してくれたため「おじいちゃん孝行だと思って」と母に諭されるかたちで、後を追って僕はドラムを習い始めた。

 

中学の春から1年間、とりあえずレッスンに通った結果、ドラムは僕に合っていてものすごく楽しかった。そのまま高校の軽音楽部でドラムを叩き、大学3年の今も軽音サークルでドラムを叩いている。もう8年になる。

 

叩いている姿を映像に撮って何度も祖父に見せた。電話で話す度に「ドラムはどうだ?ドラムはやってるか?」と何度も嬉しそうに尋ねてくれた。時に流されてどんどん希薄になっていった僕と祖父の関係をドラムが、ドラムだけがゆっくりしっかり繋いでくれた。それが、なんだか嬉しかった。

 

祖父が急に言い出したことで僕はドラムという大好きな楽器に出会えた。何故だかわからないけど、僕とドラムの親和性を祖父は感じ取っていたのかもしれない。なにせ頭の切れる人だったからなぁ。

 

 

 

 

そんな祖父も去年の年末にはすっかり老衰していた。僕は東京にいたが、話を聞くかぎり、ボケ始め、食事を拒み始め、あぁ段々と近づいているなという感じがわかった。夏に会いに行った時はうな重をペロっと平らげていたのに。ひとつずつ出来ることが少なくなっていって、少しずつ最期が迫っている感じが、なんだかとても苦しくて嫌だった。

 

31日、大晦日はとにかく急に元気になって喋り通していたらしい。ろうそくが消える前に強く燃えるように、最期のその一歩前に魂を強く燃やしたんだろうか。なんだか不思議な話だ。

 

もういよいよ何日もないだろうということで1月2日にドラムを、何度も僕たちを繋いでくれたドラムの映像を撮って見せてあげようということになったが「もう目が開かなくなったので大丈夫です」と連絡が入り、中止になった。間に合わなかった。それだけが今、心残りとしてちくっと胸を刺してくる。見せてあげられたら良かったな。

 

そのまま、ゆっくりと亡くなった。そして、年始に慌ただしく通夜、葬式。知らない大人たちがたくさんいて、おじいちゃんの若い頃の話とか、僕の知らない話とか、お寿司を囲みながら絶えずしていた。食べて話して笑って、あの頃は悲しくて重くて暗い記憶ばかりが残っていた通夜も葬式も、今回はなんだか少し違った。人を悼むということは、その人が生きていたことをちゃんと思い出して、語り合って、そうして繋いでいくことなのかもしれない。さよならは悲しい言葉じゃないとはその通りなのかもしれないな。

 

綺麗に和装された祖父の姿も、火葬を終えて骨だけになったことも、やっぱり実際に目の前にするとどこか絵空事のように思えてしまって仕方がなかったけど、ちゃんと見て、ちゃんと焼きつけた。大人たちはやっぱり変で、昨日まで「食べたかったクッキーが売ってなかった」なんて笑ってた母もすっかり娘の姿になって父の最期を前に泣いていて、なんだか近寄れなかった。亡くなる時も一つ一つ、亡くなった後も一つ一つ、整理していくように淡々と刻々と死をむかえる。なんだかあっという間だな、そんな気がした。祖父は大往生だったから、きっと幸せだったんだろう。

 

おじいちゃん、ありかとう。まだまだドラム叩くから、聴いてね。