眠れない物語のペイジ

私立恵比寿中学の諸々を徒然なるままにつづるブログ

雑記

「我慢」とその落としどころについて考えます。

 

例えば「コロナ禍だから」という理由でライブ参加を諦める人、「自分よりも推している人がいるから」という理由で生誕ライブを諦める人、このように配慮して「我慢」を選んだ人がいて、一方で普通にライブが行われている、色んなオタクが推し関係なく来ているっていう事実があります。

 

まず、絶対的な前提として、前者はめちゃめちゃに偉いです。どんなライブだって隙あらば行きたいし、会って得られる活力の大きさは一回体験したら忘れられないし、「最推し」と「他メンバー」の比率だって、決して「100:0」じゃなくて「120:100」だってことはオタクなら誰だってわかることです。でも生活や他者との関係のなかで、考えて、なくなく我慢を選んだという決断は、もうとんでもなく偉い。

 

でももう一つ。だからといって、後者ももちろん何も悪くない。大きく配慮にかけた行為(集まって飲み会するとかわざわざ他メンバーのグッズを付けてくるとか)は絶対にダメですが、ライブが開催されると決まった以上権利は平等に目の前にあって、そのキャパが埋まるのが運営のため。前者がいるから後者がうしろめたくなったり、まして責めたり責められたりするのもなんだか違う気がします。

 

もし僕が前者だったら、自分が決めた大きな決断が直接影響を与えないこと、未然防止が杞憂に終わる可能性、結局席は埋まることにやっぱりモヤモヤするだろうし、もう我慢なんてしなくていいんじゃないか、なんて思うだろうと感じます。

 

もし僕が後者だったら、行かないという人がいる以上「行く」という選択をした漠然としたうしろめたさと、でも一期一会のライブがどうしても見たいという気持ちと、きっとぐるぐるします。

 

それぞれの気持ちがあって、それぞれの事情があって、だから一概にどうとは言えませんが、とりあえず前者を選んだ人のとてつもない偉さを偉いとちゃんと伝えることが大事なのではないかと漠然と思いました。偉いです!