シベリア少女鉄道とシアターシュリンプの話
150kmの肩で投げるのがボールじゃなくておはぎ
R指定が岡崎体育の音楽性を形容したこの言葉を「シベリア少女鉄道×演劇」という関係性においてもそのまま引用したい。土屋亮一率いるシベリア少女鉄道(以下シベ少)は、リリースの角度、指のかかり方、スナップのタイミングに至るまで緻密かつ入念に計算し、この世で最も美しくてくだらないおはぎを全力で投げつけてくる劇団である。
父の遺産をめぐる話がごきげんように、誘拐犯をめぐる推理劇がアントニオ猪木に、女子寮でおこった喧嘩がドラゴンボールに終着する。決して「それはどういうこと?」などと聞かないで欲しい。言葉では説明できないからである。しかし、それはシベ少もとい土屋亮一という奇才の手によって確かに眼前で繰り広げられ、私たちはその度につい腹を抱えてしまう。そんな「これって出来たらくだらなくて最高だよね。でも普通は絶対やれないし、やらないよね。」を、役者やスタッフを集めて、劇場を借りてまでやり続けて今年で20周年らしい。土屋さんは絶対にどうかしている。そしてその「くだらない」のためにチケットを買って劇場へ赴き、「我々は今一体何を見せられているんだろう」という賛辞を送り、また劇場へと足を運んでしまう観客たちもきっとどうかしてる。みんな平等にどうかしていて、最高に愛しい空間である。
そんなシベ少最新のおはぎ「いつかそのアレをキメるタイム」を赤坂まで投げられに行ってきた。今回こうしたブログを書いているのは勿論この公演がきっかけなのだが、例によってシベ少は詳細を一文字でも綴ろうものならアレがアレしてしまう稀有な劇団なので、僕のこの興奮とは裏腹に残念ながら本公演について何かを書くわけにはいかない。とりあえず、今回も最高のおはぎだったということと、19日まで毎日当日券が出ているということは伝えておこうと思う。映像として残ることがまずないので興味のある方はぜひに、である。
さて、そろそろエビ中にまつわる話をしよう。
シベ少主宰の土屋亮一と私立恵比寿中学とはもう5年の付き合いになる。甲殻不動戦記ロボサンに始まり、シアターシュリンプ、この流れバスター、ウレロ、残雪の轍/キャンディポップベリージャム!、また来てマチ子、などなど改めて書き出すとどれほどお世話になってきたのかは明白だ。そのどれもについて言及したい気持ちはやまやま*1であるが、今回はその中でも(個人的)最高傑作の呼び声高い、シアターシュリンプ第一回公演「エクストラショットノンホイップキャラメルプディングマキアート(以下エクストラ)」について、その傑作たる(と個人的に感じる)所以を書きたいと思う。(ネタバレ含むので未見の方はそっとブログを閉じることをお勧めいたします。)
お前それ苦くしたいのか甘くしたいのかどっちなんだよ
複雑な乙女心だよ!
キーワードは「わかりやすさ」である。
シベ少の舞台は決して万人受けしない、と思う。猪木がわからないと、ドラゴンボールがわからないと、キン肉マンがわからないと伝わらないネタを平気でバンバン放り込んでくる。勿論、面白いということはなんとなくわかるから笑うし、そのニッチさが深夜ラジオのようで心地良いのだけれど「大衆受け」ということを考えると難しいところだろう。また、笑いまでの「フリ」にこれでもかと時間をかけるのもこの劇団の特徴だ。20分、30分、平気で笑いのないフリの芝居が入る。ラストにおとずれる伏線回収と圧倒的カタルシスのために必要な演出であるが、「コメディ」だと思っている一見さんは困惑せざるを得ない。
しかし、この「エクストラ」においてはこうしたシベ少の「クセ」が出来る限り廃されている。元ネタ知識が求められるのは、
「ガラスの仮面」(登場人物の名前はすべてガラスの仮面から引用。さらにキャラ設定も似ている。)
「幕が上がる」(同時期に公開。あちらが演劇の大会を目指す話であるのに対し、こちらは大会に出たくない話。)
「アシュラマン」(3つのキャラを使い分ける宮内を田中がこう形容。)
くらいであるが、いずれも物語には深く関わらない。さらに開始2分ほどでちゃんと最初の笑いが訪れ、「フリ」部分も6分ほどで早々に終わる。どちらかと言えば、三谷幸喜の「君となら~Nobody Else But You」やアンジャッシュのコントに似た、誰が見ても平等に面白いといえるドタバタすれ違いコメディに仕上がっているのである。そして特筆すべきは私立恵比寿中学に関する笑い、いわゆる内輪を狙った笑いが全くないというところだ。*2。小手先の笑いに走らず、純粋に演劇作品として勝負している姿勢が清々しく、こちらも自信をもって他人におススメできる。
また、この作品の「わかりやすさ」をより強固にしているのが、小林歌穂演じる川辺真純ちゃんである。
あの…あそこまでします…?
あのね、色々あって複雑なんだけど説明するとね、いつもの普段の感じが芝居ってことになってて、芝居してたのが本性ってことになってるの
あの…普通に劇やりません?せっかく演劇部なんだし…あたし最初からずっと言いたかったんです。
彼女が担っているのは、一般論、説明係、観客の目である。ある種狂った人々ばかりで構成されているこの作品において「あそこまでするかなぁ?」という一般論を劇中で伝え、複雑な物語を整理し、観客と同じように「振り回される」存在がいるのといないのでは私たちの物語に対する移入度も随分異なってくるだろう。どこを見ればいいのか、その視点が自然と定まってくる。
この川辺真純という物語の裏主人公に小林歌穂を当てているのは、さすが土屋さんである。エビ中のコメディリリーフとして立ち回ることの多い彼女を一般人に当て、ほかにも、星名を馬鹿役に当てたり、松野を元気役に当てたり、まだ小鹿の中山をサイコ役に当てるなどその一見トリッキーな配役が見事にはまっている。
メイキングにおいて土屋さんも
物語を作る以前の段階というか…あのぉ、どの子にどういう役を…役というかキャラというかをやらせるのが良いのかなっていうのに、ほぼ半分くらいの時間を割いてやってたような気がしますね
と語っており、その並々ならぬこだわりが窺える。ロボサンの経験が活きている!!(めちゃめちゃ上から言ってるなぁ)
そして、物語においてきちんと「解決」が提示されているところも「わかりやすさ」のひとつだ。登場人物の目的は達成はされずとも全て解決され、全体としても「演劇の大会に出る」という解決に至っている。少しくどいとも取られかねない最後の演劇シーンは、観客に100を伝えるこだわりだろう。
こうした「わかりやすさ」への行き届いた配慮が「エクストラ」を名作たらしめている。勿論「ヤバい」「幽霊部員」などの言葉遊びや、ドッキリ大成功などの鮮やかな伏線回収(舞台の構造的にミスディレクションを誘発している)も見事であるし、引き戸によるスピード感の演出やエビ中の演技力などまだまだ沢山の成功要因はあるが、そこはまぁいつも通りというか、あえて特筆することもないだろう。
このように、シアターシュリンプ、こと「エクストラ」は明らかにシベリア少女鉄道とは別のベクトルのお芝居として位置付けられている。*3 万人受けする作品を書かせてもあれだけの名作を生み出せる土屋さんはやはり天才だと言わざるを得ない。
そして、最後に。再三言っていることだが、土屋さんとエビ中の再タッグが見たい。それは「この流れバスター」でも「キャンディポップベリージャム!」でも「また来てマチ子の、愛をもう止めないで」でも叶うことのないシアターシュリンプとしての再タッグである。10周年イヤーの今年、その機運は過去最高に高まっている、と個人的には思う。
土屋さん、そろそろよろしくお願いしますね。
待ってます。
ではでは。