眠れない物語のペイジ

私立恵比寿中学の諸々を徒然なるままにつづるブログ

作品と内輪のバランス

雑記。

 

「神ちゅーんず」「エクストラショットノンホイップキャラメルプディングマキアート」「幕が上がる」「ドュ・ユ・ワナ・ダンス?」などなど、アイドルがメンバー全員でドラマや映画、舞台に挑戦することは今の時代よくあります。

 

そういった場合、当然作品のメインターゲット、想定される主たるお客さんはそのアイドルのファン達ということになりますよね。

 

ではこの時、どのくらいこの「ファン達」を意識して作品づくりをするべきなのでしょうか。つまり、どのくらい「内輪向け」の作品にしてよいのでしょうか。

 

これは単純に個人単位の趣向の話なのかもしれません。答えはないでしょう。話がややこしくならないようにエビ中に絞って話をすると、例えば「ガールズビジネスサテライト」でりったん演じる皐月ちゃんが言う「女子は大抵トイレで事件を起こすんだよ!」というセリフ、それに伴って起こる笑いは「りったんが出演した『女子の事件は大抵、トイレで起こるのだ。』を知っていること」を前提とした笑いで、こういうある種観客を制限してしまうセリフは果たしてありかなしかという話です。

 

「作品」と「アイドル」のどちらをどれだけ尊重するか。

 

昨晩放送された「アメトーーク!」で、ジャングルポケットのコントにおいて厳しい上司という設定を守ってコントに徹して欲しい太田さんと顔芸で一旦笑いをとっておきたい斎藤さんが対立するシーンがありましたが、これと上記の話はとても似ていると思います。

 

「神ちゅーんず」でフェスに遅れたやえ子が走ってくるシーン、あれは単純に「作品」単位で見れば完全に必要ない演出であり、真っ先に切るべき時間の無駄です。しかし、こと「エビ中が出演している」ということを尊重すれば、ああいったサービスシーンに対する需要も一定以上あるのは事実(もちろん僕も)、このバランス感覚はとても難しいんだと思います。 

 

前述の通り答えはないです。

 

ちなみに僕はというと、作品は全ての人のためにあるべきだと思っていて、完全に作中人物に徹して欲しいタイプ。「エクストラ~」みたいな、エビ中を知らない人と知っている人でおもしろさに差が生じない作品が好みですね。そんな作品は滅多にでないですけど。

 

皆さんはどうですかね。

 

そんなことを考えた夜でした。